←飼っていた うさぎが好きだったチューリップ。オランダ生まれなので、故郷を懐かしんでいたのかもしれない…

■melodyが飼っていた うさぎの写真↓
http://melody920.hp.infoseek.co.jp/040702pach_usafanclub_sh0501.jpg
↑良かったら、見てやって下さい。。。(ある うさぎのサークルの会員証に添付した写真を更に写した写真なので、写りが悪いです…)
ケージの出入り口に、一生懸命、手(前足)をかけて、顔を出して こちらを見ているところです。種類は、『ホーランドロップ』で女の子です。
まだ、生後3ヶ月くらいの時の写真で、この頃は、手の平に乗るくらい小さかったです。(ぬいぐるみ みたいだけど、ぬいぐるみじゃないよ!)とても甘えん坊で、頭を撫でられるのが大好きで、いつも私にベッタリでした…
こんなに愛くるしい子だったのに、私のせいで たった3年で命を落としてしまった…

<日記>
今日は、飼っていた うさぎの命日だったので、うさぎが大好きだったトロピカル・ドライフルーツとビスケット(うさぎ用)を供えた。
私が病気でなければ、そして、うさぎを手放さなかったら、今も、変わらず、そのお菓子を見ただけで、長く垂れた耳を弾ませながら、嬉しそうに跳ね回っていただろう…
ただでさえ、死は、とても辛く悲しいものなのに、それが自分のせいだとなると、こんなにやり切れないものはない。これは、単に、“強迫のせい”ということだけで片付けられる問題ではないけど、2年前、どうしても、うさぎを預けるしかない状況に追い込まれてしまった。そして、その後、たった3ヶ月で逝ってしまったのだ。わずか、3歳だった…
うちにいた頃は、毎日、ずっと一緒にいて、私にベッタリ甘えていたのに、突然、私がいなくなって、3ヶ月間、どんなに辛く淋しい思いをして生きていたんだろう?そして、預けた家は家族が多いのに、体調が悪くても誰にも気付いてもらえず、しかも、そこは田舎で良い病院も無く、病院で注射を打ってもらったら死んでしまったそうなので、本当に、悔やんでも悔やみ切れない…ここにいれば、少しの異変でも私が気付いただろうし、行きつけの良い病院があったので、万が一、病気だったとしても助かってたはず…少なくとも、淋しい思いはさせなかったし、淋しく死んで行くことも無かったのだ…
私の病気が治ったら、すぐに迎えに行こうと思っていたとはいえ、うさぎは淋しいと死んでしまう動物だと言われているのに、私は自分の勝手な都合で手放してしまった。本当に、なんてことをしてしまったんだろう…考えれば考えるほど、自責の念に駆られ、胸をかきむしられる思いがする…
強迫になって、大事なものを失うばかりで、つい、自分ばかりが不幸だと思って悲観的になりがちだけど、自分だけでなく、周りにも いろいろと失わせてしまっているものがあるんだと改めて気付かされ、罪悪感でいっぱいになる…病気が治れば取り返しのつくものは、まだ、マシだが、死のように、治っても取り返しのつかないこともある。どんなに泣き叫んでも、どんなに もがき苦しんでも、もう、二度と帰って来ることはないのだ…そういう場合、一体、どうやって償えばいいのだろうか…?
それを考えると、償おうとしているのは、うさぎのためではなく、償うことによって、少しでも自分がラクになろうとしているだけなんじゃないか?と思い始めて、更に罪悪感がつのる。だったら、自分も苦痛をこうむればいいと思って、日々、強迫や足のむくみに苦しんでいる自分は、正にちょうどいいと思ったり、自虐的になったりするのだが、ちょっと突き詰めて考えれば、それも、自分が苦しむことによって、心のバランスを取ろうとしているだけのような気がして来て、結局、罪悪感につながる…
いくら考えても、答えが出るどころか、罪悪感が更なる罪悪感を生み、八方塞がりで、全く出口が見つからない…悩み苦しむこと自体も罪悪感につながるわけなので、本当に、どうすればいいのか分からなくなる…
唯一、ハッキリしているのは、とにかく、うさぎの死を無駄にしてはいけないということだ。
そのうさぎは、生まれて すぐに病気で苦しんでいる私の所へ来て、私と離れ離れになって すぐに死んでしまったので、私を癒すために この世に生を受けたようなものだ。なので、私は、その死を無駄にしないためにも、いつか、必ず、強迫を克服しなければならない。
しかし、その先が分からない…私の考え方では、自分の病気が治ってラクになれば、罪悪感が増すことにもなり、その罪悪感から、また、罪悪感が生まれるので、正に堂々巡り…やはり、こればっかりは、どんなに詫びても償えない過ちなのだろう…なので、結局は、大切な命を奪った罪悪感に、一生、さいなまれながら生き続けるしかないのかもしれない。

…って、今日は暗い話ばかりで、ごめんなさい…
きっと、こういう考え方が心の病にさせるんだよね…これでも、他のことだったら、もっと前向きに考えられるし、このことだって、悲観的になっているばかりではなく、かなり冷静に考えているつもりなんだけどね…

ところで、私が苦しんでいるのを知って、『いつでも会える』という絵本を教えてくれた人がいました。(どうもありがとう♪)
その物語の主人公のシロ(犬)は、ミキちゃんという少女と毎日楽しく幸せに暮らしていたのに、ある日、少女が亡くなってしまい、シロは少女がいなくなったこと=死を理解出来ず、必死で辺りを探すのだが、当然、見つからず、シロは自分が不幸だと嘆き悲しむ。そんな時、シロの耳に聞きなれた懐かしい少女の声が…『もう一緒に遊ぶ事も、ご飯を食べる事も、頭を撫でであげる事も出来ないけど…でも、シロ、目を瞑ってごらん。ほら私がいるでしょ?シロ、会いたくなったらこうしてね、目を瞑ればいつでも私達は会うことが出来るのよ。』それからシロは不幸でなくなるというお話だそうです。
私のうさぎも、預けた家で、あちこち探索しているという話を聞き、『きっと、私を探してるんだ。早く、病気を治して迎えに行かなければ…』と思って(←かなり親バカ?)それを励みに頑張っていたんだけど、全然、間に合わず、最悪の結果となってしまった…
親バカかもしれないけど、やっぱり、慣れない家で、淋しく、不安でいっぱいで、本当に必死に私を探してたんだと思う…(><)でも、どうしても私が見つからなくて、あまりの淋しさに、とうとう、仲間たちのいる月へ帰って行ってしまったんだと思う。なので、私は、月を見つける度に うさぎの姿を探してしまう。そして、キレイな月が見えると、うさぎが みんなと楽しそうに遊んでいるように見えて少しホッとする。
今夜は、ちょうど満月だった。きれいな満月だったので、ちょっとホッとしたのだが、時間が経つにつれ、どんどん、黒っぽい雲で覆われて来てしまい、とうとう、完全に見えなくなってしまったので、心配になってしまった…(><)でも、あんなに良い子が幸せになれないわけが無い。きっと、雲の上の月は いつも眩しいほど明るくて、毎日、仲間たちと楽しく跳ね回ってるよね…?

<更新記録>
トップページのBGMを、一時的に、ベートーヴェンの『ピアノソナタ第8番「悲愴」第2楽章』にします(以前、ずっと流していたMIDIですが…)。
2年前の今日、飼っていたうさぎが月へ帰ってしまいました(わずか3歳…)。その追悼の意を込めて…

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